「アミロイドβオリゴマー仮説」から「ミエリン仮説」へ
現在、アミロイドPETをはじめ、いろいろなイメージング(画像)技術が誕生しています。その一つにMRI拡散テンソル画像(DTI)があります。
このイメージングにより、アルツハイマー型認知症の脳では白質の異常やミエリンが著しく減少していることが認められました。とくにミエリンが豊富な脳梁だけでなく、海馬のCA3ニューロンからCA1ニューロンへの投射線維であるシェイファー側副枝部位でミエリンの異常が報告されています。
そうした報告などを背景に、新たな視点から、私たちはアルツハイマー型認知症の発症機序の研究を進めてきました。その答えが「ミエリン仮説」です(図版③)。
「ミエリン仮説」は、「軸索変性や脱髄(ミエリンが壊れること)という現象の中に、軽度認知症障害(MCI)やアルツハイマー型認知症発症を解き明かすカギがある」と考えます。また、ミエリンの再生機序に関する研究により、アルツハイマー型認知症やその他の認知症治療の可能性も開けてきました。
ミエリンとは日本語で「髄鞘」のことで、ニューロンの軸索の周りをバウムクーヘン状に取り巻く「さや」のようなものです。
ミエリンに関する記事は、今から150年ほど前に報告されています。長い間単なる鞘と見られていましたが、現在では、脳の高次機能に不可欠な重要な機能を持つことが分かっています。
脳にはニューロンだけではなく、支持細胞であるグリア細胞が存在しています。
ミエリンは、中枢ではグリア細胞の一種であるオリゴデンドロサイト(ミエリン形成担当細胞)が自らの形質膜を軸索に巻きつけることで作られます(図版④、末梢ではシュワン細胞がその役割を担っています)。
それぞれのミエリンは、オリゴデンドロサイトの本体(細胞体)とつながっています。そのため、生合成や分解などが行われる「生きた膜」です。
ミエリンは、数層のオリゴデンドロサイトの形質膜がぎゅっと圧密化され、規則正しい縞模様になっています(図版⑤)。
その縞模様は、オリゴデンドロサイトの形質膜が二重になっていることに起因します。割り箸(軸索)に二重になっている封筒(オリゴデンドロサイトの形質膜)を何重にも巻きつけるところを想像していただくと、軸索とミエリンの関係が分かると思います。
軸索とのコミュニケーションで、ミエリン膜は巻かれる
ミエリン膜を作るとき、オリゴデンドロサイトは急いでミエリン膜を完成させなければなりません。そのため、短時間で効率的なダイナミックな巻き方をします(図版⑥)。
オリゴデンドロサイトがニューロンの軸索と出会って膜を巻きつけるとき、まず彼らは軸索に細い突起を伸ばして何度か触れてみてから、コミュニケーションを取り始めます。この細胞間コミュニケーションは、ミエリン開始のシグナルを得る上できわめて重要と考えられます。
このコミュニケーションが成立し、ミエリン膜形成が可能と判断したならば、次に彼らは改めて突起を伸ばし、軸索の一部に足場を作ります(「アンカーリング」といいます)。
足場をかけたオリゴデンドロサイトは形質膜を幾重にもまとめ、一気に軸索に巻きつけます。このとき、ニューロンのほうも〝協力〟し、巻きやすいように軸索を少しずらす動きを見せます。そして、5μm ほどの初期のミエリン膜が作られます。その後、その軸索に合った長さと間隔の機能的なミエリン膜が完成します。
生後間もなく立つ動物は、母体内でミエリンができている
ミエリンは、一定の間隔をあけて「ランビエ絞輪」と呼ばれる部分を残してつくられます。ニューロンの電気信号はそのランビエ絞輪ごとに伝わり、いわゆる「跳躍伝導」を可能にしています。
ミエリンが巻かれた神経を「有髄神経」、巻かれていない神経を「無髄神経」と呼びます。ミエリンは、進化の上で脊椎を持つ高等生物が獲得したシステムです。同じ条件での伝導効率を比較すると、無髄神経は有髄神経の5000倍ものエネルギーと1500倍のスペースを必要とします。もしミエリンが存在しなかったら、ヒトの脊髄の太さは木の幹のような直径が必要となります。
ミエリンは、脳の発達によって、形成される部位やできかたが違います。たとえば、アフリカの野生の草食動物は、生まれたらすぐに立って歩き出します。母体の中にいるとき、ミエリンがすでにできているからです。そうしなければ、肉食獣の餌食になってしまうリスクが非常に高いからです。
ヒトや母親の母乳を飲んでいるような動物は、ミエリン膜の形成がはるかに遅いものです。ただし、ヒトでも脳幹とか橋、脊髄などは、ミエリン膜の形成が早い部位で、基本的な生命維持に必要な部位は早く形成されるわけです。
軸索にミエリン膜を巻く以外に、オリゴデンドロサイトは、ニューロンの軸索にエネルギー源となる栄養を供給しています。
脳では、酸素とグルコース(ブドウ糖)からエネルギーが作られます。もう一つ、ニューロンにとって、乳酸は記憶の機能に関係する重要なエネルギー源であることが報告されています。その乳酸は、血管に接しているアストロサイトがグルコースから合成します。オリゴデンドロサイトはその乳酸を受け取り、ニューロンに供給しています。